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Profile

■鈴木康志 Yasushi Suzuki プロフィール

1956年4月15日生まれ
福島県いわき市出身 小名浜で祖父母にうんと可愛がられながら元気に育ち、クールファイブなどの歌謡曲が大好きな少年時代をおくる。

<学生時代〜「エリカ」時代>
小学生の時にすでに身長が170cmあり、中学生の時に埼玉県新座市に引っ越す。運動が得意で、運動部から引く手数多、野球、陸上などスポーツ三昧の中学時代を送る。
中学3年生の時に、全校集会で、のちにユニットを組むことになる高橋佳生がギターを弾きながら歌う姿に衝撃を受け、すぐに高橋のクラスを訪ね、ギターを教えてくれと直談判する。が、この時高橋は「君には向かないと思う」と断り、鈴木は別の同級生に3つのコードを教えてもらい、独学でギターを始めて音楽にのめり込んでいくこととなる。
高校生となり一緒に音楽をやるようになった二人は、友人宅に集まり、当時流行していたフォークソングをコピーし、学園祭廻りをして飛び入りで歌ったりしていた。そしてオリジナル曲を作り始めた鈴木はプロを目指すようになった。当時は自分が歌うことは考えていなかった為、高橋に一緒にユニットを組んでやろうと誘うが一旦は断られた。が、受験に失敗した高橋を口説き落とし、エリカがスタートすることとなった。

「エリカ」というユニット名の由来は、南アフリカ原産の花の名前から。命名理由は、何処にでもある花では無いこと。
『オリジナル曲を作るまではアリスに対してのリスペクトも強かったので、語感が似てることもあったのかも知れない。』(高橋佳生 談)
高校卒業後、鈴木がアルバイトをしていた埼玉県志木市のレストラン「anan」で定期的にライブをやるようになり、川越市にあったライブハウス「Page One」でも次第に人気となり、連日客席はいっぱいだった。その後、池袋の西武百貨店にあった「City」というライブスペースもホームグラウンドの一つとしながら活動の場を広げていった。
「Page One」は、エンターテイメント情報誌の走りであった「ぴあ」の創刊号から埼玉県で唯一名前を掲載されていたライブハウスであり、当時そこからプロデビューを果たしたアーティストもいて、 エリカもそこで日々切磋琢磨していた。
元々、いわゆる「フォークデュオ」であったエリカが、その曲調や演奏内容を革新したのはまさにこの時期で、Page Oneに出入りする多くのミュージシャンからの影響や、多様な作曲方法や演奏方法を見聞きするうちに、ジャンルも超え、様々な音楽を自分たちのものとして消化し、エリカの音楽性も変化していった。 この頃にジャズやソウルといったジャンルの音楽要素をフォークギター2本の演奏に取り入れたことにより、エリカの音楽スタイルが完成されていった。

(以下、エリカ時代を知るMusician 山内和義 談)
『いわゆるテンションコード(音楽の和音構成音において9th、11th、13thといったジャズの要素の入ったコード)をPage One で出会ったジャズギタリストに初めて教わった、とヤスさん(鈴木)か ら聞いた。 エリカの音楽は、もう従来のフォークというジャンルではなく、アコースティックギター2本で小気味良い16ビートのカッティングでグルーヴする、その当時にあっては全く新しいサウンド だった。 今でこそアコースティックギターでリズミカルなパフォーマンスをするアーティストは沢山いるが、フォークに少しロックの要素が入って、やっとニューミュージックと言われだしたばかりの当時のミュージックシーンにおいては、エリカというデュオは衝撃的な存在だった。
初期のエリカは、作詞作曲がヤスさん、歌うのは佳生さん、というスタイルだったが、ある時からヤスさんもメインボーカルを取るようになり、佳生さんのクリスタルボイス&ギターカッティングとヤスさんの石炭ボイス&アグレッシブなギターとソロで見せるテクニック、というスタイルが確立していった。 また、ハモっていたヤスさんがいつのまにかメインボーカルに、佳生さんがハモりに回ってまたいつのまにかメインボーカルに、といった曲作りやアレンジもエリカの魅力の一つだったと思う。 Page Oneでのライブはいつもたくさんのファンで満席だった。ライブは楽曲や歌、ギターの素晴らしさはもとより、二人の軽妙なトークも楽しく、客席は笑顔であふれていた。満席で店内に入れずに外で漏れ聞こえる音を聴いているファンもいたくらい、いつも人気のエリカのライブだった。』

その後、活躍の場を都内にも広げ、新宿ルイードや四谷コタンでも最高動員数を記録した。(四谷コタンの初代オーナーの著書「ライブ夢空間」にも、”コタンを満席にした男性フォークデュオ”としてエリカの名が綴られている。)
また当時は、ライブハウスでの活躍の一方、ヤマハポピュラーソングコンテスト等のコンテストにも多数出場して好成績を残していた。
そして、このころにはレーベルから声がかかるようになり、ビクター→クラウン→東芝EMIの各社でデビューへの足がかりとなるような関係になりながらも、なかなかデビューにこぎ着けることができずにいたが、1985年に“SCREEN”へ改名、アポロン音楽工房(ALTY Record)よりデビューすることになり、SCREENとしての活動へとつながっていった。

<「SCREEN」時代>
SCREENとして、シングル「涙をうちあけて」(B面「夏に埋めた物語」)で1986年アポロン音楽工房よりメジャーデビュー。
1985年、1st.シングル「涙をうちあけて」(B面 夏に埋めた物語)
TBS「花王 愛の劇場」で放映されたTV昼ドラマ「その時、妻はII」の主題歌 作詞:松井五郎、作曲:筒美京平
1986年、2nd.シングル「Sunset」(B面「スクランブル サマー」)
1985年11月21日アルバム「CANVAS / キャンバス」

全国にてライブ活動を続けたが、1989年に解散。その後、各自ソロ活動に入る。

<ソロ時代〜作家活動開始〜>
1989年に解散後、ソロ活動に入り、東芝EMIから1枚、コロムビアからオムニバスアルバムを2枚リリース。また作家としても多くのアーティストに曲の提供を始める。

ほぼ同時期に、さだまさしプロデュースによるコーラスユニット白鳥座(第3期)にボギー鈴木という名でギタリストとして参加。
その後、佐田玲子のソロ活動に伴い、ボーカルに転向。1990年リリースの「長崎から」さだまさしwith 白鳥座にヴォーカルとして参加。1991年、白鳥座活動停止。

1991年より、ビーイングにて、ディレクター及びプロデューサーとして、数多くの作品を手掛ける。担当ディレクターとして、近藤房之助、REV、PAMELAH 、Beaches など、新人アーティストを中心に手掛けながら、自身もアーティスト(コーラスアレンジ、コーラス、AG)として、B'z 、大黒摩季、ZARD、TUBEなど、ミリオンヒットアーティストの作品に数多く参加。

その後、日音にて、プロデューサーとして新人発掘育成に取り組む傍ら、音楽専門学校にて講師も務める。

<ラッシュ設立〜>
2008年、音楽プロダクション 株式会社ラッシュ設立、代表としてアーティストのプロデュースを手掛けつつ、「ヴォーカルスクール studio RUSH」にて、アマチュアからプロまで多数のスクール生を指導。
また、全日本カラオケグランプリ、KWC(カラオケ ワールド チャンピオンシップス)の日本大会、アジア大会の審査員など、様々なカラオケ大会等の審査員もつとめる。
2013年、ヴォーカルテクニックに関する独自の理論、指導法をまとめた著書「もう一曲聴きたい!と言わせるヴォーカルテクニック」を出版。
2014年、28年ぶりにSCREENとしての活動を再開。シングル「夢ふたたび」をリリース。
2015年、初のソロアルバム「Dearly」をリリース。
2016年、SCREEN アルバム「ひだまり」をリリース。
2017.12~2018.1「NHK Eテレ趣味どきっ!あなたもカラオケマスター」に出演。レッスン内容・テキストの監修も担当。
2023年、4月 4年ぶりの有人バースデーライブ開催。5月 永眠。

■楽曲提供作品

2015年 クリス・ハート「memento」、たま&エミー「恋の花咲くお年ごろ」
高橋真理子 「家」、松崎しげる 「星の夜だから」、池田聡 「First of September -空色のバス-」、未来-MIKU- 「愛する人」 他多数

■プロデュース及びディレクション作品

1993~ 森下由実子 「TEARS」 Al.「KICK OFF」 他
1993~ 中原薫「街中の素敵みんな着飾って」
1993~ REV 「抱きしめたい」 Al.「REV」 他
1994~ 近藤房之助 「夢の尻尾」 他
1994~ PAMELAH 「LOOKING FOR THE TRUTH」 Al.「TRUTH」「PURE」 他
1997~ 出口雅之 「奇跡の風」 Al.「EGOIST」 他
1998~ Misty Eyes 「CAN'T STOP LOVING」 他
1998~ elika 「Smile Again」 他
1999~ DOGGYBAG 「扉」「ミレニアムベイビー」
1999~ 未来-MIKU- 「素直になれなくて」「HANABI」 他
2007~ Peach Jam 「一生分の愛を君に」 他
他多数

■コーラス、コーラスアレンジ及びアコースティックギター参加作品アーティスト

B'z 、大黒摩季、ZARD、TUBE、織田哲郎、WANDS、T-BOLAN、DEEN、REV、近藤房之助、PAMELAH、宇徳敬子、出口雅之、未来-MIKU- 他多数